涌井秀章が再婚って本当?年俸や成績予想2021も合わせて紹介!

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涌井秀章が再婚って本当?年俸や成績予想2021も合わせて紹介!

長年パリーグでエースとして活躍をしているのが涌井秀章選手ですね。

総合能力の高いまさにエースピッチャーとして、現在は楽天で活躍をしています。

そんな涌井秀章選手ですが、奥さんは元モデルの押切もえさんということも有名ですよね。

しかし、涌井秀章選手は再婚という噂もありますが、これは本当なのでしょうか?

また涌井秀章選手の年俸推移いや高校時代も気になりますよね。

ここでは涌井秀章選手について解説をしていきます。



涌井秀章選手は再婚?奥さんは押切もえさん!

涌井秀章選手ですがたびたび再婚という噂が立ちますよね。

しかし、結論から言うと涌井秀章選手は再婚ではありません。

涌井秀章選手は2016年に元モデルである押切もえさんとご結婚されました。

涌井秀章選手、押切もえさんとともに初婚である、再婚というのは全く事実ではありません。

涌井秀章選手にたびたび再婚という噂が立つ理由としては涌井秀章選手のプレイボーイっぷりが原因とされています。

涌井秀章選手はクールなイケメンということもあり、若い頃はスキャンダルも多い選手でした。

そのようなことからスキャンダルの多さから結婚はしているものだと思われており、押切もえさんとの結婚が再婚だという噂が立つようになってしまいました。

涌井秀章選手は若いころはスキャンダルも多かったですが、押切もえさんと結婚されてからはそのようなスキャンダルも一切ありません。

そして2018年には第一子、2021年7月には第二子も誕生したばかりであり、これからも家族のためにきっと活躍をしてくれるでしょう!



涌井秀章選手の年俸推移を紹介!成績予想2021も!

では涌井秀章選手の年俸推移を紹介していきます。

涌井秀章選手の年俸推移ですが、以下のようになっています。

2005年 800万

2006年 950万

2007年 3500万

2008年 8500万

2009年 1億2000万

2010年 2億2000万

2011年 2億5300万

2012年 2億1000万

2013年 2億2000万

2014年 2億2000万

2015年 2億2000万

2016年 2億2000万

2017年 2億5000万

2018年 2億

2019年 2億

2020年 1億2500万

2021年 1億6000万

見てわかる通り、涌井秀章選手はかなりの高水準での年俸をキープしていますよね。

高卒5年目で1億円にも到達しており、まさにプロ野球での夢を叶えていますね。

そして涌井秀章選手はタイトルも豊富に獲得をしています。

2007年 最多勝

2009年 最多勝 沢村賞

2015年 最多勝

2020年 最多勝

四度の最多勝はパリーグ記録であり、西武、ロッテ、楽天という3球団での最多勝獲得は史上初という記録までも持っています。

まさに名実ともにプロ野球最高峰のピッチャーですね。

そんな涌井秀章選手ですが、2021年前半戦の記録は以下のようになっています。

2021年 15登板 6勝6敗 防御率4.69

防御率こそ少し物足りない成績ではありますが、先発で貴重なイニングイーターとして活躍をしています。

後半戦の活躍次第では二桁勝利も十分可能であり、成績予想としては12勝ほどを予想しておきましょうか。

涌井秀章選手は2021年で17年目のシーズンになります。

17年目のシーズンでこれだけ活躍ができるのは並大抵のことではありません。

実際涌井秀章選手は全盛期ほどの球速は出ていません。

しかしベテランらしい投球術で勝利を重ねており、年齢に合わせて自分の最高のピッチングを適応させることができるのが、涌井秀章選手の強みだと私だと思います。



涌井秀章選手はトレードもFA移籍も経験済み?西武とロッテと楽天に在籍!

涌井秀章選手ですが、現在までに三つの球団に所属をしています。

その全てがパリーグの球団であり、それも珍しいですよね。

続いて涌井秀章選手のトレードやFAの経緯も解説していきます。

2005年、涌井秀章選手最初に入団した球団は西武ライオンズです。

横浜高校から西武にドラフト1位で入団をし、二年目には二桁勝利を挙げる活躍をします。

そして2013年にFA宣言によって千葉ロッテマリーンズに入団をします。

この経緯としては涌井秀章選手は千葉県出身であり、地元思考が強かったこと、また当時のロッテの監督であった伊東勤氏に恩義を感じていたことが挙げられます。

ロッテは2019年シーズンまで在籍をしてここでも安定した活躍をします。

その後2019年オフに金銭トレードで楽天へ移籍をします。

ここでは、当時の楽天GMだった石井一久氏が涌井秀章選手の獲得を渇望していたと噂をされています。

石井一久氏と涌井秀章選手は西武時代に一緒にプレーもしておられますし、そのことから涌井秀章選手の実力も把握していたのでしょう。

このように涌井秀章選手はパリーグの中でFA移籍とトレードを経験しています。

ただ環境が変わっても淡々とプレーをして、期待した成績を挙げる涌井秀章選手はまさにプロですね。



涌井秀章選手の横浜高校時代を紹介!甲子園は?松坂大輔の再来?

涌井秀章選手ですが出身高校は横浜高校です。

横浜高校では入学時にすでにそのポテンシャルの高さから、同じ横浜高校で一斉を風靡した松坂大輔選手の名をとって松坂大輔二世と呼ばれていました。

甲子園では2年生の春に選抜大会に出場。

2004年の3年生の夏には夏の甲子園にしてエースとして活躍をしましたが、準々決勝で敗れてしまいました。

そしてその年のドラフトにて西武ライオンズからドラフト1位指名を受けました。

横浜高校から西武でのドラフト1位ということで、プロでも松坂大輔二世との呼び声が高く、涌井秀章選手はその名に恥じない活躍をしています。

私の感覚ですが、松坂二世やダルビッシュ二世、〇〇のイチローなどの異名をアマチュア時代に持っている選手はなかなか活躍できないイメージがあります。

しかし、涌井秀章選手は全くの逆であり、松坂選手のように第一線で常に活躍をし続けています。

そんな涌井秀章選手の活躍にこれからも期待ですね。



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